8月30、31日、東日本大震災の支援の拠点の一つ『被災者支援センター「エマオ」』の要請で、

支援のボランティアの方々の為の夕食作りのボランティアに5人で仙台に向かった。

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 東北新幹線に乗り込んだ。

キッチンの広さから何まで現地へ行かないと何もわからないので、取り敢えず「エマオ」へ行った。

仙台も東京に劣らず、暑くて日差しがきつくて、ただ歩くだけで汗が流れる。

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 「エマオ」のキッチンの様子と残りの食材を点検してから2日分の食材(120~130名分)を調達しに近くの
スーパーへ買い出しに行く。

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 「予算内でおさまるかしら?」「大丈夫、デザートも付けられる」等と計算しながら買い物を続けた。

兎に角、重い食糧を分担してザックなどに詰め込んで「エマオ」に戻った。

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 キッチンの様子

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今日はカレーの日。2鍋作った。

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キウリの南蛮漬け。生野菜サラダは痛み易いので火を通した野菜。


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デザートはフルーツ入りヨーグルト


翌朝、午前中は買い物もないので、タクシーで仙台近郊の被災地を巡った。

運転手さんは70歳の方で震災当日の事、これから訪ねる津波の被災地の話を実体験を交えて話して

下さった。

どの話も胸が痛くなるような話だった。海岸に着いた。

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 車から降りると、線香の匂いが漂っていた。
2年前の夏は子供たちの声が海辺から聞こえて来ただろうに。

海水浴場だった浜辺の入り口に慰霊柱が建っていた。

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 柵も倒れたままで・・

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 海側から見渡すと何にもない。廃墟化した小学校。この3階部分まで
津波に洗われたそうだ。

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 「荒浜」地区という所。

車で海岸線を南下して名取川を渡った。名取川を遡上した津波はここから流れ込んだのだろう。

まだ瓦礫が積まれたままの所もあって、復興はまだこれからという感じだ。

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 もう1か所、運転手さんが「ひよりみ山」と言われた所。

小山の上に船が押し揚げられていたそうだ。

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 小山の上に松の木と桜が植わっていたが、桜はだめで苗をすぐ傍に何本か植えてあった。

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 ここは第2次世界大戦の戦没者の慰霊碑が建てられている。もうひとつ、慰霊碑が建つこと
になるだろう。


お昼前、頭が混乱気味のまま「エマオ」に戻り、2日目の調理に取りかかった。

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 ボランティアの人たちはここ「エマオ」からこの自転車や車で支援に出かけている。

前日の夕方、派遣先から戻ったボランティアの方々が「美味しそう~」「久々のカレーだ」と喜んで

くださった、顔が浮かぶ。

この日は豚汁とマーボー茄子にしようと思っていたら、台湾から大勢の方がボランティアで来て下さって

いるので味噌汁はあまり好まない様だといわれ、けんちん汁に変更した。

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 おにぎりを100 個以上にぎった。

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マボーなす

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 けんちん汁。

たった2日間で仙台だけしか触れられなかったが大きな体験だった。

私たちには想像もできない辛い体験(今も)をされた多くの方たちの事を覚えていたい。